「おぼつかぬ」の仲間「やるせぬ」

以下の記事で、「おぼつきません」について書きました。
「おぼつかないです」「おぼつきません」どちらが自然?
「おぼつきません」的な語形が成立する形容詞の条件

その時には、「おぼつかない」以外に、動詞的な活用が見られる形容詞が思い当たりませんでしたが、ネットで調べてみると、次のような例が見つかりました。

「やるせない」→「やるせぬ」

「影を慕いて」という昭和初期の歌謡曲に、「やるせぬ」という表現が登場するようです。
「やるせぬ」は、あまり見かけない言葉ですが、言われてみれば、「やるせぬ想い」なんて言葉は、どこかで耳にしたことがありそうな気がします。

「やるせない」という言葉は、そもそも「遣る瀬無い」、つまり「遣る瀬」が「無い」ということです。
形容詞の「無い」は「ぬ」と活用させることはできないので、この表現は「誤り」ということになります。
でも、「やるせぬ」という字面を見ても、それほど不自然ではなく、文法的に成立しているように見えることに、私は、日本語表現の柔軟性と可能性を感じます。
日本語には、様々な言葉遊びが存在しますが、それも、この日本語の柔軟性ゆえのことだと思います。

この曲が発表された当時、おそらくこの「やるせぬ」という表現には賛否両論があったことでしょう。
いや、当時は皆、生きることに必死で、そのようなつまらないことに一生懸命になるほど、ゆとりのある人は少なかったかもしれませんけどね。

それはともかく、作詞者の古賀政男氏は、単純に誤ってこの表現を使ったのでしょうか。
本来の用法としては誤りであることを理解しつつ、目新しい表現として、あえて「やるせぬ」を使ったのかな、とも考えられますよね。
このように既存の枠組みを逸脱した表現から、流行語のような表現が生まれることもあります。
そして、それが正しい用法として定着することもしばしばです。

そのような、本来の用法と異なる表現や、既存の枠組みを無視した表現については、いつの時代でも賛否両論あると思います。
どちらの態度を取るのもその人の自由です。
でも、私としては、「日本語の乱れだ。けしからん!」などと腹を立てるより、「日本語の可能性ってすごいな!」と感じる方が、精神衛生的にも良いし、平和的だと思うのですが、いかがでしょうか?

あ、今、「けしからん」という言葉を使いましたが、これも、打ち消しの助動詞「ぬ」を含む言葉ですね。
この言葉は、ちょっと不思議ですね。
「けしからん」は「けしからぬ」の変化であり、最後の「ぬ」は打ち消しの助動詞ですが、これを「ない」に置き換えた「けしからない」という表現は、あまり見かけないですよね。

これについては、次の記事で書こうと思います。
「けしからない」「たゆまない」「見果てない」

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