猿はなぜ人になれないのか

私は、哲学的に物事を考えてみることが好きなのですが、そんな風に考えることの面白さを知ったきっかけとなったのが、次の本でした。

香田 康年『サルは、なぜヒトになれないのか―生物進化を考えなおす』
初版発行が1991年と、ずいぶん古い本なので、もう絶版なのでしょうか。
新品はなく、中古品しか取り扱われていません。

さて、「哲学的」という話をしておきながら、これは生物進化の本ですが、色々と目から鱗の落ちる思いで読みました。
実は、もう手元に本がないので、以下、記憶を頼りに書くことになります。誤りなどもあるかと思いますが、どうかご容赦下さい。

副題にも含まれている「進化」という言葉ですが、著者は、まず、これに対して駄目出しをします。
「進化」の反対語は何か?
「退化」って答えたくなりますよね。でも、「退化」は、実は「進化」の一種です。

例えば、高い枝の葉っぱを食べやすいように、キリンの首が長くなるのは「進化」、人間にとって不要となった尻尾がなくなるのは「退化」と言いますよね。
でも、これらは同じことです。単に、人間の目から見て、何かしら悪くなったとか、減ったとか、そういったマイナスイメージのものについて「退化」と呼んでいるだけです。

そもそも「進」という言葉が、「より良くなる」といったイメージを持っているので、良くなるものだけを「進化」と呼びたくなってしまうんですよね。
著者は、この誤解を解くために、「進化」を、カタカナで「シンカ」、あるいは「新化」と表現するべきだ、と主張しています。「新」という言葉にも、「より良くなる」というイメージが含まれるので、確か、本書内ではカタカナの「シンカ」が使われていたと思います。

大体、「良くなる」と「悪くなる」の区別も、そもそも曖昧なものです。
尻尾がなくなるのも、別に悪いことではないはずです。ない方が邪魔にならなくて良い、という場合も多いと思います。

さてさて、では最初の質問である、「進化」の反対語は何?
これは、特に表現する言葉がないんですね。
「変化しないこと」が「進化」の反対ということになります。

そして、私が一番感銘を受けたのが、
進化は偶然の積み重ねによってのみ実現する
ということです。

知っている人には、「何を今さら」という感じでしょうね。
でも、これを読んだ当時の私にとっては、この事実は、まさに目から鱗でした。

これって、小学校の頃の教育とか、周りの人の言葉が原因で誤解していたのだと思います。
さっきの例でいうと、キリンの首が長くなるのは、キリンが高いところの葉っぱを食べようと首を伸ばし続けた結果、その努力によって少しずつ首が長くなり、それが蓄積されて、長い年月の内に首が長くなった、という風に聞いたように記憶しています。

でも、獲得形質、つまり誕生後に得たものは、遺伝子に何の影響も与えないので、それは遺伝せず、後世に残らないんですよね。
つまり、
キリンの首が長いのは、単にどこかの世代で、遺伝子に突然変異、つまり親から子へのコピーミスが発生して、首の長いキリンが産まれた。
そして、それがたまたま高い枝の葉っぱを食べるのに有利だったために、そのキリンの子孫は生き残り、その性質がキリンという種の中で大勢を占めるようになった。
と、ただそれだけのことです。

これを理解すると、考え方がまるで変わるんですよね。
よく、「キリンの首はなぜ長いのか」といった問いかけがあり、答えとして、「高い枝の葉っぱを食べるため」と言ったりしますが、これは全くナンセンスな話です。

キリンの首が長いのは、たまたまです。
あえてその理由を考えてみるとすれば、おそらく、高い枝の葉っぱを食べることができるから、あるいは、遠くの肉食獣を早期に発見して逃げることができるから、といった想像をしてみることはできますが、これはあくまで想像です。
正解はどこにもありません。

人間は、色々なことについて、「なぜ」と問いかけます。
この問いかけを繰り返し、その答えを導き出すことで、人間は自然科学を発展させ、今日の快適な生活を手に入れました。だから、「なぜ」は、とても大切なことだと思います。

でも、「自分はなぜこの世に生まれてきたのか」といった、正解のない問いもたくさんあります。そんな問いには、「意味は人間が作るものなのだから、意味などない」と開き直ることも、時には必要な気がします。

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