哲学の謎

私は、人は誰でも哲学者なのではないか、と思います。
普段は、日常の忙しさに追われて、色々と考えてみるゆとりがなかったりしますが、この本を読むと、哲学的にものを考えることの楽しさが呼び起されます。

野矢茂樹『哲学の謎』

この本を読むと、誰でも子供の頃に「どうしてなんだろう?」と思って、なんとなく答えを出したつもりになって置き去りにしてきたような、人間にとって本質的な疑問を、心の奥底から掘り出されます。

例えば、
自分の見ている世界は、他人の見ている世界と同じなのか?
これって、とりあえず、「そうに決まってるだろう」ということにしておかないと、日常生活が成り立たないので、否も応もなく、同じであることにして済ませています。

でも、いざ考えてみると、これはどうしても答えが出せないですね。自分が他人に成り代わることはできないので、他人が自分と同じ世界を眺めている保障はありません。
いや……そもそも、自分以外の人って、本当にそこにいるの?
いるように見えるけど、それは自分の創りだしている感覚の中にいることが分かるだけで、本当にそこに実体としての世界というものがあるのだろうか……?
こんな風に考え出すと、もう答えは出てこないですね。

あとは、
枯れ葉は、「舞い落ちる」のではなく「舞い降りる」のではないか?
普通、枯れ葉には「自由意志」がないものと考えるので、「舞い落ちる」で問題ありません。
でも、枯れ葉に意志がないと、どうして言えるのでしょうか?
逆に、枯れ葉に意志がないのであれば、人間には意志はあるのでしょうか?

そもそも、「自由意志」とは何でしょうか。自発的に何かをやろうとする心の動き、といったようなものだと思います。
でも、その心の動きが発生したのは、何によってでしょうか?
それも、自分が決定したのでなければ、それは自由意志にならないので、自分の中から発生した、まあ、つまり「意志の意志」みたいなものがあったのでなければなりません。
では、その「意志の意志」を発生させたのは……?
これは無限の連鎖になってしまうので、結局最初のトリガーは自分ではないことになってしまい、つまり「自由意志」というものは存在しないことになってしまう……。

この本は、「対話篇」の形式をとっています。
哲学の専門家と哲学を知らない素人の対話、といった感じです。
でも、本の中で最終的に答えは出ません。これらは、あくまでも、「哲学の謎」です。

人によっては、「こんなものを読んで時間を無駄にした」と感じられる場合もあるのかもしれません。
この本で提示され、議論されているテーマは、答えのない問いなのだと、私は思っています。
でも、普段、自明なこととして通り過ぎてしまっている事柄について、もう一度振り返って少し考えてみることは、何かしら意味のあることに違いない、という確信もまた感じています。

ところで、対話篇というと、プラトンの一連の著作が有名です。
これらは、全てプラトンの師、ソクラテスが主人公となっており、常識として当たり前に思っていることが、実は誤りなのだということを、論理の積み重ねで証明する、といったスタイルになっています。
参考までに、『ソクラテスの弁明』をご紹介しておきます。

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猿はなぜ人になれないのか

私は、哲学的に物事を考えてみることが好きなのですが、そんな風に考えることの面白さを知ったきっかけとなったのが、次の本でした。

香田 康年『サルは、なぜヒトになれないのか―生物進化を考えなおす』
初版発行が1991年と、ずいぶん古い本なので、もう絶版なのでしょうか。
新品はなく、中古品しか取り扱われていません。

さて、「哲学的」という話をしておきながら、これは生物進化の本ですが、色々と目から鱗の落ちる思いで読みました。
実は、もう手元に本がないので、以下、記憶を頼りに書くことになります。誤りなどもあるかと思いますが、どうかご容赦下さい。

副題にも含まれている「進化」という言葉ですが、著者は、まず、これに対して駄目出しをします。
「進化」の反対語は何か?
「退化」って答えたくなりますよね。でも、「退化」は、実は「進化」の一種です。

例えば、高い枝の葉っぱを食べやすいように、キリンの首が長くなるのは「進化」、人間にとって不要となった尻尾がなくなるのは「退化」と言いますよね。
でも、これらは同じことです。単に、人間の目から見て、何かしら悪くなったとか、減ったとか、そういったマイナスイメージのものについて「退化」と呼んでいるだけです。

そもそも「進」という言葉が、「より良くなる」といったイメージを持っているので、良くなるものだけを「進化」と呼びたくなってしまうんですよね。
著者は、この誤解を解くために、「進化」を、カタカナで「シンカ」、あるいは「新化」と表現するべきだ、と主張しています。「新」という言葉にも、「より良くなる」というイメージが含まれるので、確か、本書内ではカタカナの「シンカ」が使われていたと思います。

大体、「良くなる」と「悪くなる」の区別も、そもそも曖昧なものです。
尻尾がなくなるのも、別に悪いことではないはずです。ない方が邪魔にならなくて良い、という場合も多いと思います。

さてさて、では最初の質問である、「進化」の反対語は何?
これは、特に表現する言葉がないんですね。
「変化しないこと」が「進化」の反対ということになります。

そして、私が一番感銘を受けたのが、
進化は偶然の積み重ねによってのみ実現する
ということです。

知っている人には、「何を今さら」という感じでしょうね。
でも、これを読んだ当時の私にとっては、この事実は、まさに目から鱗でした。

これって、小学校の頃の教育とか、周りの人の言葉が原因で誤解していたのだと思います。
さっきの例でいうと、キリンの首が長くなるのは、キリンが高いところの葉っぱを食べようと首を伸ばし続けた結果、その努力によって少しずつ首が長くなり、それが蓄積されて、長い年月の内に首が長くなった、という風に聞いたように記憶しています。

でも、獲得形質、つまり誕生後に得たものは、遺伝子に何の影響も与えないので、それは遺伝せず、後世に残らないんですよね。
つまり、
キリンの首が長いのは、単にどこかの世代で、遺伝子に突然変異、つまり親から子へのコピーミスが発生して、首の長いキリンが産まれた。
そして、それがたまたま高い枝の葉っぱを食べるのに有利だったために、そのキリンの子孫は生き残り、その性質がキリンという種の中で大勢を占めるようになった。
と、ただそれだけのことです。

これを理解すると、考え方がまるで変わるんですよね。
よく、「キリンの首はなぜ長いのか」といった問いかけがあり、答えとして、「高い枝の葉っぱを食べるため」と言ったりしますが、これは全くナンセンスな話です。

キリンの首が長いのは、たまたまです。
あえてその理由を考えてみるとすれば、おそらく、高い枝の葉っぱを食べることができるから、あるいは、遠くの肉食獣を早期に発見して逃げることができるから、といった想像をしてみることはできますが、これはあくまで想像です。
正解はどこにもありません。

人間は、色々なことについて、「なぜ」と問いかけます。
この問いかけを繰り返し、その答えを導き出すことで、人間は自然科学を発展させ、今日の快適な生活を手に入れました。だから、「なぜ」は、とても大切なことだと思います。

でも、「自分はなぜこの世に生まれてきたのか」といった、正解のない問いもたくさんあります。そんな問いには、「意味は人間が作るものなのだから、意味などない」と開き直ることも、時には必要な気がします。

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